2007年11月30日

オヤジ様4回目の命日

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親父様が亡くなって丸3年。そして、その半月後に生まれたハルリンはもうすぐ3歳になるんですなあ。早いものです。

会社から保育園に向かう途中でお花を買って、家に帰ってから親父様の遺影の前に供えました。
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2005年11月30日

あの日から、1年

大好きだった父が亡くなって、今日でちょうど1年になります。
#自他ともに認めるファザコンなのだった>ワシ

あの日から1年、早かったような、長かったような。
このブログでは「父上様・がん闘病」なんてカテゴリがあるにも関わらず、あまり闘病記らしいことを書いていなかったので、父の命日である今日、発病からの経過と私の思いを簡単に綴ってみます。


父は、2003年9月に食道がんに冒されていることが分かりました。
その時点ですでに食道が狭窄しており、食べ物もほとんど飲み込めない状態になっていました。手術での治療を覚悟していたところ、いろいろネットで検索してみたら「抗がん剤+放射線治療」というかなり有効な治療法もあると知り、それを薦めたのは私でした。
その治療法の最先端である「国立がんセンター東病院」にもつきそいましたが、高速バス中での重苦しい雰囲気、帰りのバスを待つ間、「お寿司をまた食べたいなあ、、、」という父の一言に涙したことなど、今でも忘れられません。

その2週間後から入院しての治療開始、つらい治療だったようですが、文句や弱音を吐きつつも(部屋が狭いだの、他の患者さんの歩く音がうるさいだの、あいかわらず神経質な(笑))、それでも約半年間入退院を繰り返しながら頑張ってきました。その結果、一時的に身体からがんが消え、2004年5月の69歳の誕生日にはお寿司屋でお祝い会も開くほどに回復しました。
ちょうど、私がハルリンをみごもったのもこの頃です。

しかし、その3ヶ月後には再発(遠隔転移)が確認され、がんセンターからは「再発の場合は治療ができないので、あとは別の病院で緩和治療を」と放り出されたような形になり、いわゆる「がん難民」となってしまいました。
その時の父の絶望感は計り知れません。

頼みの綱だったがんセンターに突然放り出され、私たち家族はこれからどうしてよいのか分からないまま時間だけが過ぎていきました。そして、みな覚悟を決めて緩和ケア病棟のある賛育会病院に面接を申し込んだのが2004年11月。月末に緩和ケアの面談をする約束になっていました。

そんな中、明け方トイレに立とうとして転んだまま起き上がれなくなり、弱った状態で救急車で運ばれたのが11月24日。緩和治療の件もあったので、賛育会病院に入院。入院した当初は血圧は低いものの意識もしっかりしていて元気でした。ただ、立ち上がることだけはできなくなっていましたたが、、、。

ハルリン出産の予定日は翌月17日で、父も何とか3人目の孫の顔を見ようと、数日は気力だけで頑張っていました。私も丁度その頃は産休に入っており、毎日病院にお見舞いに行って励ましていました。しかし、主治医の先生から「長く持っても今年いっぱい」と余命宣言、父も家族の表情からそれを察してか、28日頃から急に弱音を吐くようになり、食事もほとんど取らなくなり、生きる気力が失せていったようでした。

30日当日も、私は昼過ぎからお見舞いに行っていました。母も妹もお店(麻雀荘)があったので父と2人きりでした。父はずっとうとうとしていて、何を話す訳でもなく、だまーって4時間程過ごしていました。「ミユミユの保育園のお迎えがあるから帰るよ、いい?」と言っても、首を横に振って帰そうとはしてくれませんでした。

夕方6時頃になって、妹がやってきたので看病交代。明日からは狭い内科病棟の個室から、念願の緩和ケア病棟の広い個室に移れることになり、2人でほっとしたのを覚えています。そして父に一言。

「また明日も来るよー♪」と。

夜9時30分頃、アユボン・ミユミユと一緒にお風呂に入り、出てきてから留守電のランプがピカピカ光っているのに気が付きました。
妹からでした。

「今病院、急いで携帯に電話ちょうだい」

いやな予感がしました。
すぐに電話をかけました。
予感は当たりました。

既に心肺停止。

アユボン・ミユミユを連れてタクシーで急いで病院に駆けつけました、しかし父はベッドの上でもう冷たくなっていました、、、
4時間程前には、まだ確かに生きていて、会話も交わしたのに…。


1年たった今も、治療法は本当にあれで良かったのかとか、生きているうちにもっとできることはなかったのかとか、いわゆる「親の死に目」に会えなかったとか、楽しみにしていた3番目の孫を会わせたかったとか、もっと話したいこともあったのに、とか、、、いまだに後悔は尽きることがありません。

奇しくも友人も4年前の11月に最愛のお父様を亡くされ、ブログにその思いを綴っていますが、まだまだ私はこんな境地に達していないのが現状。私もいつかは彼女のように「ありがとう」と笑って言えるようになれるのかな。

父は私の勤務先から程遠くないところで眠っています。
一周忌は既に済ませましたが、会社帰りにちょっと挨拶でもしてこようと思っています。
じゃ、また後でね。

posted by ぷにた at 13:19 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月06日

通夜、告別式

父の通夜は4日、告別式は5日に無事終了しました。
参列くださった方々、特に手伝ってくれたウチの会社の皆様、どうもありがとう。
大変助かりました。

お別れの時は、大勢の方々にたくさんのお花をお棺に入れていただきました。
「菊の花は辛気くさくてキライ」と生前言っていたけれど、いっぱい入れてしまった(笑)
他にもいろんな花を入れてあげたからがまんしてよね。



…父は瑞江の火葬場で空に帰っていきました。
12月なのに、首都圏で初めて夏日になったという不思議な日でした。

アユボンとふたり、表でしばらく空に上る煙をながめていました。



実はこの日は母の64回目の誕生日、そして翌6日は結婚40周年の記念日でした。
お清めが終わってから買ってきたショートケーキで母の誕生日を祝い、それから妹が生前父から預かっていたという、「40年目のエンゲージリング」と誕生日カードを母に贈呈。いつもは母に誕生日プレゼントなんてあげたことのなかった父が、2ヶ月ほど前にこっそりと買っておいたものだそうです。

カードには懐かしい字で
 「がんばるぜ!」
の言葉が。

ホント、もうちょっとでいいからがんばってほしかったよ…。

posted by ぷにた at 20:36 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月03日

おじいちゃんに会いに行く

夕方、母、亭主、アユボン、ミユミユと一緒に、父の遺体が眠っている斎場にお線香をあげに行く。「おじいちゃんがひとりで安置所にいるのはかわいそうだから」、と。

斎場に行って、昨日遺体を安置した安置所でお線香をあげる。
安置所の扉の向こうは3℃。
アユボンが「この中、寒いの?」と聞く。「おじいちゃん、凍っちゃわない?」
「大丈夫、凍りはしないから。」と答える。
ドライアイスを身体いっぱいのっけられて、きっと重いだろうね。
「でもそうしないと、おじいちゃんの身体の状態が悪くなっちゃうんだよ」

ミユミユがそれを聞いて「おじいちゃん、はやくげんきになるといいねえ」と言う。
…そうだね、てんごくではきっとげんきになってるね。

また明日来るよ〜、とみんなでお別れの言葉をかけて斎場を後にする。

その後、妹夫婦と合流し、実家で一緒にほか弁の夕食。
葬儀は父の遺志で無宗教式で行うので、その時にかけるBGMの選曲(何と西部劇のテーマソング集である(笑))やら、告別式の時に司会者に読んでもらう「父の生い立ち」などの推敲作業に明け暮れる。結局終わったのは22時すぎだった。

posted by ぷにた at 23:27 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月02日

納棺式

昼間、納棺式を行いました。

亡骸をお棺におさめ、一緒にコート(治ったらこれを着てでかけようと買っておいた、が一度も袖を通すことはありませんでした...)、愛用の帽子、手袋、孫の手、時刻表、あとアユボンとミユミユのおじいちゃん宛てのお手紙も入れてあげました。

亡骸の入ったお棺は、斎場内の安置所に置かれることになりました。
お通夜の日までしばしお別れです。


おじいちゃん子だったミユミユのショックは大きいようで、昨日の朝と寝る前は「おじいちゃんとずっと会えないのはさびしいよ…」と言って大泣きでした。
30日、まだ生きてる時に会わせてあげたかったなぁ。

posted by ぷにた at 23:24 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

葬儀の日程が決まりました

お通夜は4日、告別式は5日と決まりました。

4日はミユミユの保育園のお遊戯会なのですが、お通夜の前に参加できそうです。
ミユミユ本人も以前から張り切っていましたから…。

私は、といえば、「落ち着いてから出て来い〜」と毎日お腹の赤子に言い聞かせている毎日です(笑)。

posted by ぷにた at 10:30 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月01日

父、頑張りましたが…

昨夜10時前、力尽きました。


夕方6時まではそばにいたのに。
まだ元気だったのに。


3人目の孫の顔を見ることはかないませんでした、、、
posted by ぷにた at 08:16 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月28日

なんとか…

救急車で病院に担ぎ込まれた時は最高血圧が60〜70ぐらいしかなくて、「これはもう…」と思われた父の容態ですが、血圧だけは何とか正常値に戻り、危険な状態はとりあえず脱したようです。
ただ、ベッドからほとんど立ち上がったりできなくなり、寝たきりの状態が続いています。

明日は、同病院にある緩和ケア科の先生と面談をする予定。
がんの完治が望み薄の今、せめて父のQOL(Quality of Life)の向上だけを願うばかりです。悲しいですが…。
posted by ぷにた at 22:44 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月25日

すみませんが…

しばらくブログ更新もストップしており、「ぷにた近況はどうした?」というリピーターの方もいらっしゃるかと思います。

実は食道がん闘病中だった父が昨日明け方倒れ、緊急入院となってしまいました。
病状は思わしくなく、決していい状況とはいえません。

せめて、3人目の孫の顔を見るまでは頑張ってほしい。

現在、私も臨月で大変な状況ですが(明日で37週:まだ産まれてません!)
日中は看病に通う毎日が続いています。
そんなわけで当サイトおよびブログは、しばらく更新停止状態とさせてください。

すみません。
posted by ぷにた at 20:44 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月24日

ショック…

いきなり三日ボウズ気味です(笑)

昨日はこの夏休み初めての、風の子の昼食作りの日。
アユボンは弁当でなく主食のみ持参だったのでとてもラクでした。

私は、といえば会社を休んで父親の病院に付き添い。
ショックな診察結果でした。
しばらくホームページ更新もできそうにありません…。
posted by ぷにた at 03:03 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ●家族:父上様がん闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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